ヴァイオリンを弾く事と音楽の話~楽器は表現の道具~
ヴァイオリンの話をする=テクニックの話が中心になりがちです。
実際、音楽性は個人個人のものであって、正しい正解があるわけではないので結局教える側はテクニックしか教えることが出来ないという先生も多くいます。
音楽性や表現はある意味演奏者のメンタルやどう考えているかという所に関係してくると思います。
では、どの様に普段の練習から意識していけば良いのでしょうか。
我々はヴァイオリンを弾いているのではない
私がイタリアに来て思った事は、日本人の音大生やプロを目指す学生がいかに真面目にテクニックを勉強しているかという事です。
日本のヴァイオリン奏者のレベルは非常に高いですし、必ずしも本場のヨーロッパだからヨーロッパの演奏家の方が優れているとも思いません。
私はあくまでヨーロッパのイタリアという、それもトリノやミラノの街しかよく知らないのでヨーロッパ全体を言う事は出来ませんが、少なくともイタリアで習った先生の中で日本にいた時に習った先生とは全く違うレッスンのアプローチでした。
まず先生に言われた事は、それまでヴァイオリンを上手に弾く事を目的に練習してきていたのですが、そもそもその考えが間違いであるという事でした。
ヴァイオリンを上手に弾くために練習してるんじゃないの?
じゃあ何のために練習してるの?
先生が練習を否定するようなこと言うなんて酷い!
等と心の中では思いました。
先生は練習する、演奏する事を否定しているのではなく、ヴァイオリンの技術や弾くという作業に気をとらわれすぎて、演奏する曲に対して音楽的に考えることを放棄してしまっているという事を指摘したかったのです。
ヴァイオリンを弾く人はヴァイオリニストなのではなく、音楽を使って表現する人の一人である。
ピアノや歌、フルート等数ある楽器の中でたまたま私たちはヴァイオリンを選んだだけであって、音楽の本質そのものは何ら変わらない。
ヴァイオリンは表現をする道具の一つでしかない。
ここで言える事は、技術にとらわれて音楽をしているという事を忘れたらそれは音楽の本質を失っているという事です。
音楽をするには
先程の話をした先生の事は間違っていないと思っていましたが、最初は腑に落ちない部分もあって正直苦手でした。
これまで音階やエチュード等を練習してきたこと、曲を丁寧にさらってきたことをを否定された気分になったからです。
しかし結局先生は技術が足りない生徒には厳しく音階やエチュードを練習するように言っていたので普通の先生と何ら変わりはありませんでした。
先生も、この話を関して、決してテクニックを練習する事が下らない事ではなく、勿論技術が重要な事を大前提に話していた訳です。
つまり、技術も表現する意思も両方持ち合わせる必要があるけれど、どうしても技術の発展途中だと音楽的な事を考えられずに技術ばかり気にしてしまってその人の持っている音楽性を殺してしまう事になりかねないという事を危惧した発言でした。
では、音楽をするとはどういうことでしょうか。
頭の中で音楽が流れているか
頭の中で音楽が流れる、つまり脳内で歌っているかという話です。
ヴァイオリンを弾きながら脳内で歌うという事はいきなりは出来ないと思います。
- まずは声に出して歌ってみる
- そこで自分がどう抑揚をつけたいか考えてもう一度歌う
- 楽器を弾いて歌ってみた時と同じように抑揚が付いてるか弾きながら確かめる
これを何度か繰り返していくと弾いている部分が自分でどう弾きたいかという考えと一致してきて表情が生まれてきます。
頭の中でどう抑揚をつけるかという事に慣れるとどんな曲を弾いても自然とそれを意識するようになり、より説得力のある演奏になると思います。
曲に合わせた弾き方
作曲家や作品の背景によって弾き方は変わります。
それを理解するためには作品の背景、作曲家について知る必要があります。
一概にこう弾いてはいけないという正解不正解は存在するわけではありませんが、明らかに曲について考えていない演奏というのはつまらなく聴こえてしまいます。
曲の傾向を知るにはある程度曲数をこなす、経験を積む必要があります。
曲に出会う度にどの様な音の出し方、弾き方が最もその曲らしく聴こえるか自分なりにまず考えをまとめ、そこからレッスンであまりにもちぐはぐな表現や弾き方なら先生に修正してもらう事が最も確実でしょう。
楽譜に強弱等何も書いていなくとも
作曲者によっては細かく強弱や音楽的な指示をほとんど書かない人もいます。
だからと言って平坦に弾いていいという意味ではありません。
常にフォルテ、ピアノ等同じダイナミックで弾くとしても必ず音楽的な根拠を自分で持っていなければそれは単に何も考えずに弾いているだけになってしまいます。
何の指示がないという事は自分で自由に考える事が出来ます。
音程の上下、和声の流れ等からまずはどの様にフレーズが分けられるか、どこがフレーズの中で重要な音か等考えられることは沢山あります。
特に練習曲でこの事を考えずただひたすら音が弾けるように練習しがちですが、練習曲こそいかにつまらなさそうな音の羅列に物語を与えるか音楽家の本領を発揮させる所だと思います。
音楽を考えるヒント
音楽性を磨く為に美術館や博物館に行ってみる、自然の豊かな場所に行ってみる等、演奏から離れた部分で音楽性を磨くと良いという話はよく聞きます。
この行動だけで音楽が磨かれる訳ではありません。
勿論しっかりとした練習が大前提の上です。
例えば綺麗なものを見た時の感動した気持ちや友達や家族、好きな人と過ごした幸せな時間、自分で悩んだり苦しんだ事など、その時に起きた出来事や感情を日記などにして頭を整理してみるのも手だと思います。
そうする事で演奏するとき、過去の自分の気持ちや出来事と音楽を結びつけられてよりアイディアを生む可能性を増やす事が出来るかもしれません。
ヴァイオリンだけを弾いていても上達には限界があり、実際に一流の演奏家は多くの知識や経験を持っていて様々な事に関心を持っている人が多いように感じます。
なので私個人の意見としては、ヴァイオリンのテクニックに関しては練習すれば上達すると思いますが、音楽性に関してはその人の歩んできた人生の鏡の様なものだと思っています。
練習をしっかりしながらも時には感動したり楽しいと思える経験をする事はやはり大切だと思います。
常に音楽に意見を持つ
常々イタリアで勉強している時に言われたのは、自分の音楽に対する考えを信じてそれに自信を持つことでした。
先生に言われた事を素直に練習してくる事は日本人は得意な事だと思います。
ゆえに限りなく明確な正解を出しやすいテクニックについては先生のいう事を真面目に復習していけば結果が見えてきます。
しかし、自分で音楽について考えるといった事は正解が見えず、まるで哲学の様に終わりがありません。
終わりが見えないからこそ、明確な正解がないからこそ様々な意見を持つことが出来るのではないのでしょうか。
そう思うと音楽の醍醐味は多様性なのではと思います。
最後に
この話題は正解もなく、非常に漠然としたことしか書けなくなってしまいます。
レッスンで先生の音楽を押し付けられることも、自分がレッスンで生徒に自分の音楽を押し付ける事もあってはならない事です。
あくまで一人一人の個性を引き出せるかもしれないと期待して先生は自分の音楽的意見を提示しているだけだと思います。
万が一人の音楽性を強要する先生がいたらその人は音楽家ではないと私は思っています。
ヴァイオリンでどの様な事を表現したいか、この課題は永遠に尽きる事はないでしょう。
もし質問等ございましたらお気軽にお問い合わせください。無料体験レッスンも行っておりますのでご興味ございましたらサイトをご覧ください。